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静岡の大地(18)御殿場線をたどる 2022年11月29日


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 伊豆半島を北へ流れる狩野川の支流に、北から流れ込んでいる支流がある。それが黄瀬川で、前回の「狩野川の流域(その2)」で鮎壺の滝などにも触れた。その黄瀬川の上流部までを見る目的を兼ねて、10月29日土曜日に小田原の先の国府津から沼津へ御殿場線の旅をした。今回はその報告である。

 御殿場線は、神奈川県小田原市の国府津駅から静岡県御殿場市の御殿場駅を経て静岡県沼津市の沼津駅に至る東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(幹線)である。1889(明治22)年に東京と大阪を結ぶ鉄道の一部として開業した。東京と大阪を結ぶ鉄道線が1909年に東海道本線と命名された。1934(昭和9)年12月1日の丹那トンネルが開通により、東海道本線は熱海駅経由に変更され、この国府津駅と沼津駅の間は御殿場線となった。

御殿場線と東海道線のマップ

 御殿場線には、トンネルや橋脚などに過去に複線であった面影が残っているが、これらは第二次世界大戦中に不要不急線に指定され、レールなどの資材が回収された結果である。大幹線である東海道本線から一つのローカル線になったが、1992年には事故の際に東海道本線のバイパスとしての役割を果たした。JR東海が管轄する在来線として最東端の路線であり、唯一関東地方(神奈川県)に乗り入れている路線である。定期券以外では国府津駅を跨いだICカードの利用はできない。路線距離(営業キロ)は60.2km、軌間は1067mm、駅の数は起終点駅を含めて19である。最高速度は110km/hである。全線がJR東海静岡支社の管轄であり、国府津駅構内はJR東日本横浜支社の管轄であるため、この駅の構内にある第一場内信号機が線路上の会社境界である。
 まず沿線の概要である。国府津駅を出て東海道本線から離れて内陸に入る。東側つまり右側に曽我梅林を見ながら下曽我駅に着く。酒匂川沿いを北上し小田急電鉄小田原線の上を通過し松田駅に着く。酒匂川との距離が近くなり、国道246号、東名高速道路と並行し、時には交差して走る。カーブと急勾配が県境を越えて続き、ほぼ最高点が御殿場駅で、沼津駅を除いて線内最大の駅である。そこからが黄瀬川に沿って走る区間となり、富士山の東麓斜面を走る。車窓右側、つまり西側に富士山が見え、御殿場駅近辺では間近にあって、宝永火口が正面に見える。最大勾配が1000分の25の急勾配が続く途中にある富士岡駅と岩波駅には、東海道本線時代のスイッチバックの跡がある。裾野駅の手前で東名高速道路が離れ、勾配が緩やかになり、下土狩駅の先で東海道新幹線が上を通る。愛鷹山が手前に見える頃に沼津駅に到着する。全線で常に左側に箱根山の外輪山が見える。

路線図:「駅すぱあと」による
https://roote.ekispert.net/ja/labo/column/2014/notte_20141213


小田原城跡にあるイヌマキの古木

 さて、10月29日の行程に沿って少し詳しく述べる。当日、新幹線小田原で降りた。小田原城址を少しだけ見て、大きなイヌマキの樹に赤い実がなっているのを見つけた。久しぶりに甘い味を楽しんだ。東海道線で上り2駅目の国府津駅で降り、国道1号線に沿って西へ歩いて15分くらいの場所の南側に鰻屋「うな和」がある。すでに満席の知らせが出ていて、「次は17時30分に」と書いてあるが、予約してあったのでふっくらと焼き上げた美味しい鰻重を味わうことができた。

 国府津駅から御殿場線に乗った。それぞれの駅に何らかの特徴がある。その幾つかを紹介したい。まず出発点の国府津駅である。この駅の駅前には130年続く駅弁屋がある。東華軒という店で、東海道線の数ある駅弁屋のなかで最も歴史の古い店である。国府津駅が開業した翌年、1888(明治21)年に東海道線で初めての駅弁として認可され、竹の皮に包んだおにぎりや押寿司を売った。店の始まりは鉄道工事の工夫のための弁当だった。今の名物は小鯵押寿司、デラックスこゆるぎ弁当、鯛飯などである。

東華軒の鯛めし(左)と小鯵押寿司


 国府津駅を出て間もなく線路がまっすぐ伸びる区間が松田駅まで続く。東側に山地が続き、西側には箱根火山の外輪山が続く。

国府津駅を出て松田駅に向かう。

 箱根山の火山活動期は、古い方から順に、古期外輪山、新期外輪山、中央火口丘の3つに大別される。箱根火山の活動は約40万年前に始まり、噴火を繰り返し、約25万年前には古箱根火山と呼ばれる標高2,700mに達する富士山型の成層火山が形成された。その後も噴火を繰り返し、約18万年前に空洞化した地下に山の中心部が陥没して大きなカルデラが誕生、このとき周りに取り残された海抜1,000m前後の山々が古期外輪山である。金時山は古箱根火山の山腹から出た側火山である。

富士山、愛鷹山、箱根山の関係 Wikipediaより

 約13万年前から再び火山活動が活発になり、カルデラ内に小型の楯状火山ができた。約5万2000年前、この楯状火山が破局噴火し、再び陥没して東部から南部に半月形に取り残された。それが新期外輪山である。この噴火の火砕流で堆積した火砕物が東京軽石や箱根東京軽石と呼ばれる。

 約5万年前、カルデラ内で再び火山活動が始まり、先神山が形成されてさまざまに変遷した後、溶岩ドームの形成と溶岩ドーム崩壊型火砕流の様式になり、中央火口丘群を形成した。火砕流でカルデラ湖が誕生した。マグマ噴火は、約8000年前の神山山頂付近、約5700年前の二子山溶岩ドーム、約3200年前の神山の噴火がある。約3000年前、神山北西斜面で山体の多くを崩壊させる大きな水蒸気爆発が発生して大涌谷が生まれた。早川の上流部が堰き止められて芦ノ湖が誕生した。

箱根山の地形 google map

 松田駅までの東側の山地は国府津-松田断層の逆断層運動で隆起している。国府津-松田断層は相模トラフを陸地方向に延長した線上に位置しており、プレート境界から分岐した断層である。相模トラフから沈み込むフィリピン海プレートの北縁部に位置し、日本の活断層の中では地震の発生確率が相対的に高いグループに属している。今後数百年以内に、変位量10m程度、マグニチュード8程度の規模の地震が発生する可能性がある。国府津-松田断層の最新活動時期は西暦1150年から1350年の間であると推定され、1293年の鎌倉大地震の起震断層の一つである可能性がある。過去約6000年間に約20mの上下変位があり、3000年間で4回或いは5回の変動イベントが確認されている。

 トンネルと鉄橋が交互に現れて酒匂川の渓谷を縫っていく。山北駅東側にある樹齢約50年の染井吉野約130本の桜並木は、神奈川県の「かながわのまちなみ100選」に選ばれている御殿場線沿線で最大の桜並木である。谷峨(やが)駅は山間の駅で、開業当初は薪や炭を発送する駅であったが現在は旅客のみを扱う小さな無人駅ある。

 駿河小山駅は金太郎が生まれた故郷の町にある。昔の教科書で有名になった。小山町総合文化会館ではさまざまな催し物があり、私が御殿場線に乗った日の前日には5日間にわたって「地域防災指導者養成講座」が開催されていて、地震防災で活躍してきた川端信正さんが講師を務めていた。足柄駅の駅舎は隈研吾の設計で、地元の木材を使った建築である。鉄道マニアはそれを撮影するためにやって来る。駅舎には図書館や役場の分室が置かれているが、この駅も無人駅である。

尾池和夫の名刺に用いている写真

 御殿場駅で途中下車したが駅前はビルばかりで西の方が見えない。富士山には厚い雲がかかっていてまったく見えなかった。喫茶店に入ると「御殿場」と書いた美しい富士山の写真集になったポスターが張ってあった。御殿場ハムを売る店でハムを買った。南御殿場駅、富士岡駅とだんだん窓から富士山の裾野と斜面の灯りが見える。左側に愛鷹山の姿が現れる。沼津に近づくと、三島駅から撮した私の名刺の写真と同じような景色となる。沼津駅で降りると向かいに国府津行きと書いた電車が止まっているので東海道線かと間違えて一度乗った。同行者が御殿場線の国府津行だと気づいてくれて慌てて東海道線に移り、三島駅に着いた。三島の自動改札は重ねた切符を判定できなくて駅員のいる出口で駅員が一人で前の人の手続きをゆっくりやっているのを待って出た。ひかりの自由席はほとんど満席だったが何とか座って静岡駅まで帰った。帰宅して三島駅で買ったちらし寿司弁当を食べた。

尾池和夫


下記は、大学外のサイトです。

静岡新聞「まんが静岡のDNA」の記事でも静岡の大地を紹介しました。
https://www.at-s.com/news/article/featured/culture_life/kenritsudai_column/700397.html?lbl=849

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